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レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』



『子どもと自然大事典』(2011・ルック)
第5部「子どもと自然、社会」 第5章「子どもと科学・文化」
より

 レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』は、すでに環境教育のバイブル的な存在となった感がある。内容に関してはここではあまり触れないが、まさしく「子どもと自然を結ぶ」書であり、子どもと自然に関わる人ならば一度は手にとったことがあるだろう。
 また、「妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの『センス・オブ・ワンダー』をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。」という文章に、共感し励まされた人も多いのではないだろうか。私もその一人ではある。
 だが、それがかえって、環境教育とは無縁だと思っている世の親たちを本書から遠ざけてしまったような気がするのは私だけだろうか。「訳者あとがき」によると、「この作品は、一九五六年、゛ウーマンズ・ホーム・コンパニオン゛という雑誌に『あなたの子どもに驚異の目をみはらせよう』と題して掲載された」ものである。本来の読者として想定されていたのは子どもの親、特に母親であり、決して環境教育に携わっている人間などではない。
 先の文章も、子どもに自然をどう教えたらいいのかわからない「多くの親」の困惑へと続き、「わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。」という有名な一節へとつながっている。
 私たちは、『センス・オブ・ワンダー』が環境教育以前に、子どもの「親」を対象にして書かれた家庭教育また子育ての書であることを忘れてはいけない。「すくなくともひとり」の「わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人」は、本来「親」であるべきなのである。
 ひとりでも多くの親が本書を手にとり、臆することなく幼いうちからわが子を自然の中へと連れだしてほしい。そして、親子で「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を共有してもらいたい。その上でさらに、子どもたちと「感動を分かち合ってくれる大人」の多い地域社会を望むことは、もはや贅沢すぎるのだろうか。
(引用:レイチェル・カーソン 上遠恵子訳『センス・オブ・ワンダー』新潮社)


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